Stop the Morning

2009年5月 2日
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突然ですが、久々に展覧会なんてやります。帰国後初にして初の個展になります。
時間の許す方はぜひお立ち寄りください。

仕事をしながらなんで、今から準備が心配です(笑)。

“Studio" SOURCE vol.1
カミトユウシ展
[Stop the Morning]
2009年5月16日(土) -5月30日(土)



GALLERY SOURCE
〒155-0032 東京都世田谷区代沢5-11-14
TEL 03-3422-0157  WEB http://www.gallery-source.com
OPEN 平日12:00-18:00 / 土日12:00-20:00 会期中無休

Losing by Cherry

2009年4月23日

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7年ぶりに花見に行ってきました。
本来なら風情ある行事だけど、連日のニュースは首都圏のお花見スポットがいかに混んでいるかの情報ばかり。
実際人口の割に緑や公園が少ないんで、お花見なんてなると人でごった返し、風情なんてどこ吹く風。
特にみんなが行くところに行きたくないオレは「ああ、これだから東京は」なんて思って結局最後まで迷ったけど、あんまり頑張らずサラッと行ってみました。
丁度スーパーイコンタが手に入ったんで、その試撮も兼ねて。
ちょっと調べてはみたけど、オレ的に一番最低なのは上野公園。桜では都内で最も有名で、最もゲロと酔っぱらいと学生が多い。まあ正直こんなとこは冗談ではない(笑)。
新宿御苑はビミョーっぽく、近場でまとも(?)と思われた隅田公園ヘ行ってみる事にしました。

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何でもアンチなおいらは日本の花見はどうも好かないところがあって、本来あんまり自発的に行こうとは思わない方だ。
「桜が綺麗」なんて「ライカはいいカメラ」くらい当然で、今更何をと思ってしまう。
でもまあいい。いちいちいろいろ考えてもね。
ちなみに隅田公園の最寄りは浅草で、お花茶屋からは関屋まで出て東武線乗り換えで浅草まで行ける。
駅から隅田川の河畔までは目と鼻の先で、降りて歩くとすぐ桜が見え出す。








この日はエライいい天気だった。光が眩しい。日本の春の日差しってこんなに眩しかったっけ?
あふれる光。ドイツにはなかったデフューザーをかけたような膨大な光量。桜が見えてくる。
違和感もなくこれといった感動もない。「あー、桜だねえ」ってそのままなコメント。
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ぼちぼちイコンタをぱかりと開けてぶらぶら撮影する。
このカメラは開いてみるとその大きさに毎回ぎょっとする。それくらい畳んだ状態がコンパクト。
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フィルムカウンターは赤窓式で、フィルムの裏面にある数字を赤い窓から見ながらフィルムを送っていく。
赤いのはこのカメラの発売当初ほぼモノクロフィルムしか市場に出回ってなかったせいで、モノクロはパンクロマティックだから。
しかも当時のフィルムは感度が今のような200だとか400ではなく、50でも超高感度だったはず。
ISO5とか10が普通だった時代のカメラなんで、購入時にもカメラやの店主から「あまり高感度のものは使わないように」とのことだった。
だってカメラの背中に穴があいてるんすよ?
ブローニーがいくら遮光紙で保護されてても、正直ちょっと怖い。

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あとこのカメラは距離計とファインダーが別にあるのも面白い。
まず距離計でピント合わせ。それから構図を決めるためにファインダーをのぞく。
それからシャッターチャージャーを押し上げ、それでやっとシャッターが切れる。カシャン。
レンズシャッターの可愛い音がする。
マキナも持ってるがあれは「パシュンッ」とか「キシュッ」ていう。
あー、いいわ、これ。

でも周りを見渡すとデジイチをぶら下げた花見客がゴロゴロ。
超ベタな撮影スポットで、こんなとこでこんなもん撮ってていいんかなーなどとも思ったりする。

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そんな中コンビニで買ったとろろそばでお昼。あー完全に花見だ(当たり前)。
酒は飲まないけど、いいもんですな。
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ドイツでは桜が少なくってできないから花見に憧れてたけど、日本に帰ると当然のように桜がある。
オレは一人でドイツの変な桜を見に行くのが好きだったけど、ここではみんなバカの一つ覚えみたいに花見に行く。
きっとそれでいいんだろう。
オレもそのうちこの桜に負けるんだろう。
負けるのもいいのかも知れない。








帰りに浅草ついでに仲見世までいってみた。
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Zeiss Ikon Super Ikonta 531/2

2009年4月21日

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デジタル全盛のこの時代に購入してしまいました。スーパーイコンタ。
戦前モデルのわりにかなりの美品で、上野にある中古カメラ屋にあるのを見つけてからというもの、ヒマさえあれば通いました(笑)。
昔から気にはなりつつも高価で手が出んかったけど、この頃のデジタル化のせいで、日本では今やフィルム35ミリとか中判は完全な値崩れ時代を迎え、そのおかげで買えたと言っても過言ではないでしょう。
もし今からフィルムカメラをやりたい方は今が買い時です。

このイコンタは発売当初「家が2、3軒建つ」ほどの超高級カメラだったそうで、デジタル全盛時代が来るついこの前まではモノによっては20万円を超えてました。 _0011704.jpg
テッサー105mm/F3.5付き。多重露光防止機能を備えてるところを見るにⅡ型。詳しくはこちらをご覧下さい。
戦前モデルなんでコーティングはなしです。逆光に弱くはなっちゃうけど、逆光なんてあんまり撮らないし、前に所有してたハッセルもノーコーティングの銀銅鏡タイプだったんで、特に悪い印象はないっす。どっちにしてもすごい描写力には変わりないでしょう。
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折り畳むとこんなにコンパクト。ゾクゾクします。
只今試撮中なので、そのうちサンプルをアップします。

 

Kati & Ektar

2009年3月17日

去年の暮れからあるカメラ店のDPEコーナーで受付の仕事をしてます。
以前に働いてたベルリンのピクセルグレイン(HPはこちら)では、主にラボ職員として働いてたんで、受付は全くやってなかったんで大変。
しかも今回がオレにとって初めての接客業。その中でも特にこのラボの受付業務は難しいことに気付いた。
いろんな客がいろんな注文をして、いろんな納期や、消費者教育の行き届いてない団塊の世代の相手もしないと行けない。
最近は昔はなかった消費者教育があって、「自分ができないことをお金を払ってやってもらう」という姿勢がある人にはある。
ただちょっと古い世代になると「金を払ってるんから、お前は奴隷だ」っていう姿勢。困ったもんです。
「なんでできねえんだ」とか言われても、できないものはできない(笑)。どっか他逝けって感じです。
やっぱラボでも受付は特殊です。ピクセルグレインでも作業してる人間と受付の人達とでなんか距離というか、人種の違いのようなものを感じてたけど、こういうことかと実感しております。
まあそうは言いながらそこそこ楽しくやっております。

ところで以前にオレがモデルになったKatiの写真が彼女のサイトにアップされました(過去の記事はこちら/シリーズのページはこちら)。今回のテーマは「einfach sein(シンプルであること)」だそうで、彼女が働くラボ職員をモデルにしたシリーズです。
ここのサイトのリンクにも加えようと考えております。もう気付いてる方は気付いていると思いますが、以前のブログでのアーティストリンクは全部上メニューのリンクに移りましたのでご覧下さい。

あ、あとそういえばコダックからついに日本でも発売になりましたね、新(復刻)フィルム「Ektar100」!(HPはこちら
今更ながらの135mm用ネガだけど、一応「世界最微粒状性」をうたってるんで、期待してしまいますな。
アメリカでは先行発売していて前評判もよかったせいで、在日の外国人の方がいっぱい買いに来てます。
ぜひ試写してみたいでず。っていうか35はいいから120出さんかね、コダックさん。

遊びは終わりだ

ツケはいつかは支払われなければならない。
清算の日はいつ何時来るかは分からない。でもその日は確実に来る。
要はそれを「ツケだ」という認識があるかだ。
例えば人間が生きるということはいろんな「迷惑」や「わがまま」を伴う。
そういったことをちゃんと「ツケだ」と自覚できているか、ということ。
もちろんこれは単なる借金の話をしてるわけじゃないし、「自分はちゃんと経済的に自立してるから、誰にツケがあるわけでもないし、迷惑もかけていないからいいだろう。」などという低レベルな話でもない。

例えばオレはドイツにいたけど、まずそのことがツケであるということに本能的には分かってた。
でも自分はドイツ滞在が心地よく、このままここにいることができればと考えていた。
この場合代償は「日本」で、得るものは「ドイツ」だった。
ちなみに「何でそこで日本が代償になるんだ?」などという方は、この文章は読んでも無駄である。
あとオレは写真を中心に活動してたけど、自分のことを「人間である前に写真家だ。」みたいに「人間である前に○○だ。」なんて思ってる方にも、この文章は時間の無駄でしかない。
なぜならこれを書いているオレは「写真家である前に人間でありたい」と思うから。

例えば外国にいながら自分の生活はとりあえずうまくいくこともあるかもしれない。
でもそれはあくまで「自分の」生活だけだ。
じゃあ結婚して子供ができて、子供が大きくなって、自分の親もいつか死んでしまうことを想定しよう。
そんな時外国にいると親の世話もできず、死に目にも会えず、子供は子供で自分がどこの国の人間なのか悩み出す。
でもそれは全部「仕方のないこと」?自分が幸せなら、人も幸せ?
オレも昔はそう思ってた。「自分がまず幸せじゃない人が、なんで人を幸せにできるだろうか」と。
確かにこれは原理的には合ってる。正しい。
でも実際には自分がどんなに幸せでなくても、人の幸せのことを考えないといけない時がある。
己の幸福を追求することは決して間違ってない。ただそれ以外の部分での「ツケ」は最小限にするべきだと思う。
なぜかと言えば、自分のツケを払うのがオレ自身だったらいいけど、それがもし自分の親だったり、子供だったりしたらこれほどやりきれないことはないからだ。
人間臭く、青臭く、面倒臭く、泥臭いことで、若い(と思ってる)うちは耳を塞ぎたくなるだろうけど、こういったことを考えないといけない日は誰にでも必ずやってくる。

オレが帰国した理由も、そういう背景が強い。
もしこのことに気付いていながら外国にいて将来は帰国したいなんて思ってる方は、できるだけすぐに帰国した方が賢明だろう。
気付いているというだけでそれは価値がある。でもオッサンやオバハンになって帰国して何ができるんだろう。
心身ともに老い、帰国そのものが大変な負荷になり、長年の留守で頼れる友人も少なく、久しぶりの日本の生活に慣れるのにも疲労し、いい年してるから仕事の採用もない。
分かってるんなら、私情はさておきできるだけ早くケツをまくるべきだろう。
「日本に帰ってもろくなことがない」なんて言い訳の常套句だけど、オレには「ろくなこと」より大事なことがあるような気がして仕方がない。
実際オレは帰国してろくなことはないし、ろくな生活もしてない。でも帰国したことは全くと言ってもいいほど後悔してない。
ろくなことがあるかどうかなんてホントにどうでもいい。

もしあのままろくなことを期待しながらひたすら自分の幸福を追求するのなら、オレは日本を完全に捨てなければいけなかった。
まあ捨てられるわけもないけど(笑)。
この「捨てられるわけもない」っていうところがまたタチが悪い。
自分が「移民」だって言われると抵抗があるけど、「在住」とか「とりあえず住んでいる」と言われるのは構わないという人が多いのはそこなんだろう。
「ドイツ在住」とか、「ドイツに留学」なんてかっこいいけど、「移民」なんて言ったらなんだか苦しそうだ。
日本人はそういう変なところでキレイでかっこいいものを好み、泥臭くてかっこわるいものを嫌う。
でも実際、海外経験は「留学」って言えるくらいの短期間が一番いいのかもしれないと、7年も住んでみて思った(爆)。

お金の話になるけど、最近は政治の世界でも国債とか地方債、財政改革の答弁なんかでよく「この借金はやむを得ないと言われますが、これを誰が払うんですか?私たちの子供ですか?」なんて聞く。
勝手に借金してもいいけど、その尻拭いをちゃんと自分でやれよってこと。
「そんなの当たり前じゃん」なんて言ってる人に限って分かってないことが多いんで、気をつけましょう。
オレも気をつけていきたいと思います。