パンク論

2007年9月15日

ときにはシリアスに(笑。

最近(25歳くらいからずっと)よく思うんだけど、パンクってアオい。
政党で言うと左?になるんだろうけど。
何かに反対するっていうのは、まずその「何か」が既に存在してることが前提になる。その「何か」に依存してるってことになる。結局甘えてるんだよね。
若い頃に比べて、オレはちょっと右寄りになってきたからこんなことを言うが、十代はパンクってすごいって思ってた(笑。

多くの国の政治を見ても右派が過半数で、左派はまあぼちぼち。ここで見えてくるのはやっぱ「国家が人格」ってことだと思う。日本だと特に、議席の割合が絶妙に人間の脳内みたいでおもしろい。
右派っていうのは人間の「本能」。
左派は逆に「理性」。
人間は人間である前に動物だから、結局本能には勝てない。理屈であーだこーだ言ってもダメだと思う。
なので左派の人たちは偽善的なことを言ってるようにオレには聞こえる。

たとえば外国人差別はいけないって「理性」はいう。
でもよそ者をすんなりよく思う人間なんていないって「本能」はいう。
海外で暮らしてきて、それはよくわかった気がする。

経営者と雇用社員にもこの構図はあてはまる。
経営者は会社全体を見てる。
社員はその日その日の仕事と、細かな周辺環境が見えてる。
でも社員の言うことを経営者がいちいち聞いてたら会社は潰れてしまう。
やはり経営者は生きようとする「本能」だし、一社員はそれを受けての「理性」だと思う。

さらに似た例として「共産主義」がある。
共産主義はもともと、みんなが平等になるように考えられた理想論だった。もしそのシステムどおりに社会が機能していたら本当に理想郷みたいになってたんじゃないかと思う。
でも共産主義には破綻がある。それはまさに司っているのが「人間」だってこと。
人間には欲がある、本能がある。
結局、ごく一部の人間が私腹を肥やし、貧困に苦しむ国民の不満から国が崩壊しだす。

結局パンクが破綻するのもそこだと思う。
もともとがセックスピストルズみたいに大人が勝手に作り出したコンセプチュアルな時代的流行でしかなく、よく考えれば思想として軟弱で、何かに依存してる。
「正しい」ことを言ってはいるが、実社会や本能に基づいていない。
頭の中の役に立たない妄想みたい。
でも若い頃はこれが生きる糧みたいになってて、素晴らしいものに見える。
だからある意味すごく純粋な心だったと思う。
善悪の概念がすごくクリアに見えて、社会が底なしに汚れてた。

これが大人になってくると、これがただ単に自分の周りしか見えてない、社会的に部分的な考えだって気付きだす。取り巻く社会に自分が「甘えている」って。

ここで言いたいのは、右派や経営者や資本主義が素晴らしいって事じゃない。
ただこれらの論理は本能に基づいているっていう点において「まとも」だってこと。

そんで最後はバランスだと思う。小泉さんが長く首相が務まったのも、彼が自民党にいながら「異端児」だったってとこが大きいと思う。
これが本能まるだしの右翼だったら、長く続かなかっただろう。

まあ、いいバランスで生きたいですねってことかな。


自分がそう思ったことを忘れないように書いてみました。
なので、苦情、反対意見など全く受け入れません。

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