死刑執行撲滅ソング

2009年12月 6日

ドイツ滞在時にドイツ人の友人からこんなことを言われたことがある。
「日本には死刑制度があるけど、お前は死刑に賛成なの?」と。
全く考えた事がなかったので、そう答えると「死刑のある国は変だと思う。」と返ってきた。
これに対して何か釈然としない思いをしたのを、最近死刑についてのニュースを見ていて思い出す。
彼らの論理は理論的だけど、同時にナイーブでもある。

どこの国でも当然人を殺す事は犯罪になる。
だけどこの国では、その犯人を法律を使って、もしくは法律そのものが「殺す」ことは違法ではない。
これは確かに矛盾していて、彼らの論点はここに尽きる。
ある人間が人殺しをしたからと言って、法律がその人間を殺してどうする。
殺人はよくない。でも法律は別?
殺人はよくない。でも戦争になれば別?

殺人事件が起きて、その遺族は本当にその犯人を逆に殺してやりたいと思うだろう。
極端な言い方として「そうだよね、殺したいよね〜。」と言って法律がその犯人を死刑にする。
そうなれば「おいおい、ここは本当に先進国か?ハムラビ法典の世界じゃないか。」なんて言われるかも知れない。
さらに言えば、そもそも法律が国民の総意で創られている事を考えると、逆を言えば「こんなヤツは殺してしまえ。」と国民全員が言ってるのと一緒だ。
あなたはそれが平気ですか?ってこと。「あの人はあんたが殺したんだよ」って言われても平気?
それとも「みんなでやれば怖くない」?

このドイツ人の友人の論点は「どんな方法であれ、人を殺してはいけない」ということ。
法律も人殺しをしてはいけないし、戦争や非常時を大義にしてもダメ。
確かに一理ある。未だに反論できる切り口がない。
反論できないってことはきっとそれが正しいんだろう。
実際に自分の身内を殺されたら、と考えるとこの論理は少しナイーブな感じはあるけど、だからといって人を殺してもいいという話にはならないし、なってほしくない。
結局犯人が死んでも故人は帰ってきはしないし、犯人も人間なのだから死ねばまた悲しむ人がいる。

この論理にもし反論するとすれば、「じゃあ死に値する犯罪は存在しないのか?」という切り口だろう。
「ない」と断言はできないだろう。もしかしたらあるかも知れない。いや、あるでしょう。
そこにきてドイツ人の彼の論点の主格は「自分」にある。
「自分はどんな形であれ人は殺さない、殺したくない。」ということ。
これはヨーロッパ人が個人主義なところに起因しているのは否めないだろう。
社会正義という観念がどうも希薄な感じに聞こえてしまう。まあでもだからといって死刑制度を肯定するに値するとは思えないけど。